「立脚点の移動」とは、自分の立つ場所を変えること。
エンパシー(相手の靴を履く)やメタ認知などが、それに当たる。
また「離見の見」(世阿弥)
「萃点移動」(南方熊楠を評した鶴見和子氏の表現)も
立脚点の移動と言えるだろう。
物事をどこから観るかは、エゴにより固定されがちだが、
「聴く」ことを通して立脚点を移動させ、
自己変容から世界変容へと至る仕組みを『シャーマンズボディ』など
いくつかの書籍で紹介されているエクササイズを通して体感する。
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未来の社会には何が起こるだろう?「ドリームタイム」が、自然環境、コミュニティ、そしてグループの生活に変化をもたらすだろう。ドリーミングボディにアクセスすることが、新しい覚醒の感覚を創り出す。自分自身や自然とつながることが、歴史の進化に影響を与えることと結びつく。
コミュニティと人間関係。「私たちみんなが、社会を創り上げ、変化させる責任を共有している」とは、何のことか?社会の諸問題の内部に深く入る新しいシャーマンについて。他者の目から見えるものを一緒に感じる(共に夢を見る)。自分とは違う立場の人の声を聴く。
日常生活は、私たちが想像しているよりも、深い体験をもたらしてくれる。しかし、そうした体験から日常生活に戻ってくることは、いつも容易なことだとは限らない。
自分の悪魔と格闘するとき、その戦いに勝つか負けるかとは関係なく、喜び、自由、並外れたエネルギーを感じる瞬間がある。それはドリーミングボディや、古代から続くシャーマンの不可思議な世界を、「今ここ」で生きることを意味しているからである。
私たちが生きる「今ここ」では、そのような体験はしばしば禁じられているのではないだろうか?
私たちが日常生活に戻ってくるときに起こることは、あなたの個人的な死の行進であると同時に、周囲の世界全体の刷新でもある。
「本当の自分」を抑圧するならば、内側から脅かされることになるだろう。また、自己を無意識的に生き、結果それに憑かれてしまうならば、あなた外側の世界との間にトラプルを抱えることになるだろう。
自己を生きる感覚と日常生活でやり遂げる課題とは?「トラブルを歴史に対する借りと見なすか、あるいは英雄のように反撃して幽霊として死ぬか」
ヒーラーやグルや師たちは、単なる普通の人であったり、ときには厄介な人の場合もある。
彼らは大変な力を持っていたが、日常生活でそれを十全に生きることができず、心のある道を見いだせずにいた。だがそうした師たちにも、称えられるだけのドリーミングボディを生きた勇気や、人生を魅力あるものに変容させた経験を持つ。信じ難い力を持ち、永遠なるものとつながっていたにもかかわらず、自分の道にこだわり過ぎ、その犠牲になっていく。心のある道から外れてしまった人々と同じように、他者に洞察を与え、癒しをもたらすその精霊に憑かれてしまう事もある。
私たちは、常識や他者の考えや精霊に催眠をかけられてしまうとき、「幽霊(ファントム)」になってしまうのだ。
「流れに従い、幽霊のように振る舞いながらも、それに憑かれていないとき、あなたはどのように感じて、どのように見えるだろうか?」
我々が暮らしている町は、結局のところ、避けるべき過去などではなく、グローバルな精霊の源泉である。
アフリカ、オーストラリア、インド、アメリカのヒーラーや賢者たちは、信じられない力や愛、未知なるものと共に生きている。
友人を同じシャーマンの一門に属する戦士だと考えれば、お互いに敬意を払うようになる。そうすれば、グループはナワールになる。これはシャーマンの教えを集団生活に統合するひとつの方法である。
シャーマンの物語には、いかに戦士のグループを発展させるかについての教えが数多く語られている。
そうしたグループは、覚醒に対する共通の関心の上に成り立っている。背後にあるこの動機が、決定的に、そして神秘のうちに戦士たちを結びつけている。
カスタネダの言葉から、皆が覚醒しない限り誰も覚醒したとは言えないということ、そして学びにおいては師と同じぐらい仲間が大切であるということを学ぶことができる。
ドリーミングボディ体験、夢や身体の問題、死と再生などのリアリティは、心理療法の概念も先住民のシャーマニズムの方法も共に変化しなければならないことを示唆している。
シャーマニズムは自己成長にスパイスを加える。
一方、心理療法は現代のシャーマンに生きる糧を与える。心理療法家は忘れられたものに注意を払う。
一方、呪術師は「馬鹿げたこと」を大切にする。 呪術師は喜んでトラブルに巻き込まれていく。
呪術師は「馬鹿げたこと」を愛している。
「馬鹿げたことの」の世話人、統制された放棄、死をアドバイザーにする。
超心理学的そしてオカルト的な策略は、シャーマニズムでいう「心のある道」ではなく、人生を意味あるものにすることはない。臨死体験を考慮に入れると、人生を意味あるものにする唯一の事柄は、自分の人生には「心」があるかどうかということである。
「心のある道」を厳密に定義することはできないが、内なる賢明な部分や、今でも先住民として生きる長老たちならば確かに知っている。 今日、心のある道を見いだすには、戦士の修行を積むことで鍛えられる注意力が必要である。
明晰な自覚。自分の履歴を消す。十牛図。
盟友と出会い、自分の人生の背後に隠された神話的な物語を見いだすと、個人的な問題は徐々に減っていく。成熟し、ただ自分らしく生きるようになる。
外側から他者が見ると、時空間から独立した超心理学的な性質を持つ分身を育てたように見えるが、この分身は、それを体験する者にとっては流れゆく考えでしかない。
成熟の過程は次のように進む。日常生活の問題に始まり、狩人や戦士になることを経て、最後には「自己」の全体性を生き、常に自己一致するようになる。
ダブルシグナル、場と投影。
【盟友の秘密】
古代の伝統と現代の心理学は、盟友に屈服するか、あるいは身体や人間関係を破壊しようととり憑いてくる精霊と格闘するか、どちらかしかないとアドバイスしている。この格闘(対決)の意味とは?そして精霊と個人的な問題や社会との結びつきとは?
北米先住民の伝統によると、長い非の打ちどころのない人生が終わるとき、死が見守る中で、戦士は身体のエネルギーや記憶や経験に最後の表現をさせる「ラストダンス」を舞うという。
【盟友】
有益な秘密を隠し持つ不可解な精霊の「盟友」。非日常的なリアリティの世界では、最もコンプレックスを刺激する暗くて恐ろしいものと対決することは避けられない。それはこれまでの人生で必死に避けようとしてきたもの、実は不可解な精霊である「盟友」だった。
【戦士】
不思議な出来事や普通ではない外的な出来事と直接的かつ体験的につながる戦士。ドリーミングボディを生きる戦士になれるかどうかは”聖霊”という試験官にかかっている。「力」とはアメリカ先住民の言葉であるが、エネルギーと生気を吹き込む二次プロセスの体験の事。 「力」ヘと至る王道は”夢見”。”夢見”とは単に寝ている間のイメージを思い出すことではなく、夢見手が夢を紙に描いたり、踊りにしたり、あるいは視覚的なイメージや内的な対話によってその体験を深めていく事。
【狩人】
古くから存在するあらゆる先住民の伝統において、個人的な諸問題に対する解決法は「力」とつながり、動物や植物、自分の夢や身体に宿る”精霊”のメッセージに従うことである。狩人は日常的なリアリティにとどまりながら、内的そして外的な不思議な出来事を捜し求め、捕まえ、統合する。 そして、狩人と狩られるものはひとつである。
【最初のレッスン】
シンクロニシティ(共時性)から知恵を得る。すなわち周囲の世界に耳を傾ける。普通ではない外的な出来事を真剣に受け止める。思わず口から出てしまった自分の嘘を信じることによって、個人的な神話に近づいていき個人の履歴(アイデンティティ)に気付く。 仕事のやり方、自分に対する期待、他者との関わり方の擦り切れた“自分の履歴”というパターンが、死によって消し去られるところを想像してみる。数多くの師たちは、死が最も賢明なアドバイザーであると教えている。
【知者への道】
癒しをもたらしたり、意味のある人生を創りあげるために、数多くの豊かな道がある。それらすべてに共通するのは、コントロールできない非合理的で強烈な未知の力を敬う事。
【シャーマンズボディ】
夢、身体の経験、身体症状などの体験を作り上げている「ドリーミングボディ」。その「ドリーミングボディ」の流れに入っていくにはためにはどうすればいいのか?日常の暮らしの中で起こる非合理的で普通ではない感覚や思いがけない出来事。 この”思いがけない出来事”に焦点を当てる「第2の注意力」を使い、日常的な自分を手放してドリーミングボディを感知する。
【シャーマニズムとプロセスワーク】
プロセスワークのいう「シャーマンズボディ」とは?身体の問題、人間関係や世界の諸問題は、私たちのアイデンティティを拡大して生まれ変わるように挑戦を挑んでいる。葛藤の中に答えがある。
Flow to attend
パーソナルエクササイズの日程を予約します。
グループエクササイズ参加可能日の登録をします。 (※1)
受講費のお支払いをします。
オリエンテーションに参加 (※2)
膝の上に猫がいるオンライン対話ファシリテーター。
オープンで温かく、でも甘やかさないスタイルで身体性を鍛えるファシリテーション・トレーナー。
ファシリテーションを、つくば市民大学とコミュニティファシリテーション研究所で学んだ後は、独学で実践してきたため、得意な訓練方法は「やってみれば?」」
中国の南開大学で修士学位を取得。東洋思想や文化人類学を研究対象として「萃点探究」と名付け在野で研究を続け、それぞれの人が世界をどのように捉えているか(環世界)を、感性とロジックでつかみ、世界で起きる“出来事”の「種」と「カラクリ」を究明する手法を、ファシリテーションに役立てている。
事象に鋭く切り込むが、外見はモフモフ。オンラインで読書会を継続的に開催中。
日常的に常に起きている“少しだけ違和感”や“モヤモヤ”の残るような出来事を振り返り、「なにが起きているのか?」を探る実践型 “野良”ファシリテーター。2010年、NLPを学びwebマーケティングに活かす事を試みるが、「自分の正解ではなく、世の中の正解に寄せていく“マスマーケティング”」に一抹の疑問を感じ、挫折。
2017年、あるオンライン講座への参加をきっかけに、活動を“外発的動機”から“内発的動機”へ、働き方を“リアル”から“オンライン”へパラダイムシフト。2021年、長年“本棚の肥やし”になっていたアーノルド・ミンデル著「シャーマンズ・ボディ」の読書会をサクサクと共に主催(継続中)。
「ファシリーテーターが何なのか?」がわからないまま知らないうちに「ファシリテーターの世界」にどっぷりと浸かる。
人が辿ってきた人生(ルート)を追い、その人の軌跡・痕跡を可視化し、肩書きで固定されてしまう“単一方向の自分”ではなく、“その人の全部を表わす何か?”を表現する事のできる「エスノグラフィー(トラジェクトリー)型プロフィール」を研究中。
Recommendation
生命体の可能性が花開くことを願うフリーの社会活動家。デジタルファシリテータ。
非暴力アナキスト。『ZOOMオンライン革命!』、『Miro革命–ビジュアルコミュニケーションによる新しい共創のカタチ』、『出現する参加型社会』著者。
私たちは、様々なことを「書籍」から学んでいる。書籍の中で行われていることは「言葉」を用いた説明や表現である。
書籍の中の「言葉」は、私たちが身体を通して経験している何かのことについて語られているのだ。
「机」とか「パソコン」とかなら、形や大きさ、型番など、それぞれが違うものを思い浮かべるかもしれないが、語られていることの概要を理解できるだろう。しかし、心の内奥に生じる経験について指し示している「言葉」ならどうだろうか?
もしかしたら、自分が経験したことのないもののことを指し示しているのかもしれないし、経験しているものだとしても、どれのことだか特定できないかもしれない。
プロセスワークの創始者、アーノルド・ミンデルの言葉は、そのようなもので溢れている。だから、最初は、何のことを言っているのかが分からないと感じる人も多いだろう。
例を挙げたり、ワークをやってみて「その体験のことだよ」と伝えてくれたりするガイド役がいることで、書籍に書いていることと、自分の体験世界との対応関係が見えてくる。
サクサクさんとアイミーさんは、ミンデルや熊楠、東洋哲学などで語られる言葉と、一人ひとりの体験世界との間に橋を架ける場創りを実践し続けてきた。
「立脚点の移動」オンライン合宿では、2人が、ミンデルの『シャーマンズボディ』で語られている言葉と、参加者のあなたとの間に橋を架けるガイド役になり、ミンデルの世界へ誘ってくれるだろう。